非帰国子女講師の英語学習と海外経験

2023年07月14日

「非帰国子女講師の英語学習と海外経験」

「非帰国子女講師の英語学習と海外経験」

松井塾で主に高校生の英語を教えている新潟大学創生学部の深沼です。私は中学生から英語の勉強を始め、大学で1年間タイへ留学し、今は英語で仕事をすることを目標にしています。今回は私が今までどのように英語を勉強してきたのかについてお話したいと思います。
まず、私の英語のベースは圧倒的に学校の授業です。よくどうやって英語ができるようになったのか聞かれますが、「これをやったからです!」というようなピンポイントの学習は全く無いです。大まかに私の今までの英語学習を辿ると 中学入学→アメリカに1ヶ月ホームステイ→英検3級取得→高校入学→英検準1級取得→大学入学→TOEIC805点・TOEFL83点取得→タイに1年間留学→TOEIC930点取得 といった感じです。以下、それぞれについて詳しくお話します。

中学生時代
中学入学前は特別な英語学習はしておらず、中学の授業開始とともに一般的なスタートラインから英語の勉強を始めました。大きな転機となったのは中学1年生の時に夏休みの1ヶ月間アメリカ・カリフォルニア州にホームステイに行ったことです。元々海外になんとなく興味があってホームステイプログラムを提供している団体に所属しており、親に頼んでそのプログラムに参加しました。現地の学校には通わず、基本的には一人で現地の家族と一緒に生活をしました。しかし、中学1年生の夏休み時点の英語力は簡単な自己紹介程度で全く使い物にならず、意思疎通は全てニュアンス、ボディーランゲージで行っていました。ただ、自分の知らない世界を知ることが楽しかったので、周りの言っていることが全く分からない環境にストレスを感じることはあまりありませんでした。ある日ホストファミリーに「Did you have breakfast?」と聞かれ、did youは分からないけどbreakfastって聞こえたから「朝ご飯食べる?」という意味かと思ってYes!と答えたら結局朝ご飯が出てこず、「あ、did youって食べる?じゃなくて食べた?だったのかも」と過去形の疑問文を自然習得したり、Go to churchって聞こえたら毎回教会に行くからchurchは教会なのかな、と察したりしていました。意味を察することは失敗の方が多く、ある日「When will you go back to Japan?」と聞かれ、whenの意味が分からずひたすらI’m from Japanと答えていたこともありました。帰国して少し経ってから「ああ、あの時あの人は私がいつ日本に帰るのか聞いていたのか」と分かり、少し切なくなったこともありました。正直、Did you~?とか、church=教会とか、私が1ヶ月間のホームステイで得た英語の知識は日本で英語を30分勉強して得られる知識と同じくらいの量だと思います。決して1ヶ月アメリカに行っただけで英語力が伸びることはありません。むしろ、ホームステイから私が得たことは2つです。一つは、英語学習へのモチベーションが圧倒的に向上したことです。英語が話せなかったもどかしさ、あの時こういう内容が言えていれば、という経験がそのまま英語の勉強をもっと頑張りたいという素直なやる気に繋がりました。もう一つは、発音の向上です。ホームステイを経て自然と発音に敏感になりました。(よく日本人はRとLの発音が苦手、と言われますが、ホームステイ初日ホストファミリーの名前がRから始まり、名前を呼んでもひたすら違うと言われ、自動的にRの発音をマスターしたことも良い思い出です笑)それでもあの時点での英語の発音はまだ低いレベルだったなと今となっては思いますが、帰国して初めての中学の英語の授業で先生に発音を褒められたこともよく覚えています(当時は発音が良いとペラペラだと思われて自分の英語の期待値が跳ね上がるのと、恥ずかしいのとで、結局授業中はわざと日本語の発音で話していました…)。感覚的なことになりますが、自分の英語のルーツとして、「耳から入る」ということを覚えたことがその後の英語学習にも活きていると感じます。
その後も順当に学校で英語の授業を受け、周りの子と同じように塾に通い、定期テストの勉強をしました。英語が好きではあったので、英語学習が単純に楽しいと思っていたし、新しい単語や文法もすんなり頭に入っていきました。特別なことをやっていた意識は無いのですが、この頃の私は定期テストが近づくと家でひたすら教科書を音読していました(英語だけでなく、社会や理科も笑)。学校で発音を意識して話せないフラストレーションから、家でCD音源を聞きながら一緒に音読する、いわゆるオーバーラッピングをして、自発的に発音練習をしていました(学校のテストで細かい発音の問題は全く無いので、発音練習自体に意味はありません笑)。また、単語はもちろん、重要な例文も手作りのカードに書き、毎日欠かさず口に出して暗記していました。この頃の音読の習慣化が私の英語力のベースになっていると強く感じます。なんとなくこれはおかしいとか、口が勝手にこう動くからこれ、とか感覚で問題を解くことも割とあって、そういう「英語の感覚」を養えたのは良かったと思います。その後、中学3年生の時に始めて英検を受けて、3級を取得しました。

高校生時代
 高校に入学してからも、英語はずっと一番好きな教科でした。先生の当たり外れはあるし、この時も学校ではわざと下手な発音で話していましたが、英語を話せるようになりたいという想いはなんとなく心の中にありました。基本的な学習方法は中学時代と特に変わらず、文法の勉強は学校の授業、定期テストが近づいたら単語・例文を手作りカードで暗記、毎日教科書音読、でした。高校3年間は、学校のプログラムの一部で、アメリカの大学生が夏休みの1週間家に泊まりに来る、ホームステイの受け入れ側をやっていました。うちに来ていた学生はみんな日本語が全く話せず、私の家族や友達で英語が話せる人もいなかったので、生活全般で私は通訳みたいな役割をしていました。この頃は簡単な会話はできるけどネイティブスピードにはほど遠く、リスニングのレベルも単語の知識量も全く足りていませんでした。ただ、ネイティブと必死に英語で話して自分の考えを伝えるという経験は英語学習のモチベーションアップとスピーキング練習になりました。1週間毎日アメリカの大学生と一緒に電車に乗って通学し、日本のことを教えて、相手の文化を知るという経験は私にとっては日々の英語の授業では代えがたいご褒美タイムで、辛いけど面白い、楽しい、やりがいある!と感じていました。恐らく文化の違いですが、アメリカの大学生は分からないことがあるとこれは何?なぜ?と聞いてくれるので話していて楽しいし、自分は将来こういうことがやりたいんだけど、あなたは将来何がしたいの?とか、自分の国ではこういうことが社会問題になっている、といった真剣な話を本当に積極的にしてくれるので、そういった面でも刺激を沢山受けました。1年のうちたった1週間ですが、自分にとって良い実践の場になっていました。
 高校3年生になって受験を見据えた時、大学に入学したら絶対1年以上の長期留学に行きたい!と思っていたので、留学に行きやすい大学が第一志望でした。しかし、その大学は英語小論文を課す独特な入試形式だったため、300語以上のまとまった内容の英作文を書くためにライティングに注力しました。また、英検準1級を持っていると受験で有利になったため、英検準1級取得の勉強もしていました。しかし、英検は中学以来受けておらず、英語の先生に相談したところ、高校生のレベルなら準1級は難しすぎるから2級を受験した方が良いと言われ、でも準1級も必要だし…と思って先生の言うことを聞かず、2級と準1級をダブル受験しました笑。一次試験はどちらも突破しましたが、二次試験の面接で2級は合格、準1級は不合格だったので、次の回で面接だけ受けて準1級にも合格することができました。その時は英検用の単語帳を使ってCDを聞きながら特に覚えられない単語はカードに書いて暗記し、英検準1級専門の問題集を自分で解きました。面接練習は学校の先生にお世話になり、ひたすら実践練習を繰り返しました。学校の授業とは別に英検対策をしていましたが、学校の授業で基礎を固めていなかったら合格できていなかったと思います。その後、本格的に入試で必要な英語小論文の対策を始めたのですが、実はこれが私にとって最大と言えるくらいの難関で、初めて英語学習で挫折を味わいました。日本語と英語の論理構造は全く異なり、簡単に言うと、日本語はまわりくどく結論は最後に言う派で、英語はストレートに結論は最初に言う派ということです(振り返ってみると、ネイティブと会話する楽しさはこのような根本的な論理構造の違いにもあったのかもしれません)。これを深く理解して、実際に自分の力だけで英作文に反映させることは単語暗記や文法ルールの習得とは次元が違い、当時の私は全くと言っていいほどできませんでした。学校の先生のすすめで、このようなスタイルの英作文指導に特化している外部の先生とオンラインでやりとりし、英作文を書いては添削してもらっていましたが、なんとなく納得できていないというか、これで合っているのか分からないなあと思いながら英作文を書いていました。やっぱり自分で納得できていないことは実を結ばないもので、第一志望の大学には合格できず、現在の大学に現役で入学しました。

大学生時代
 大学入学後、日本語でレポートを書くことが増え、文章の論理構造をより意識するようになり、そこでやっと受験期の英作文特訓が役に立ったと実感できました。結局論理的に話す時にはどういう順番で何を書く又は話すべきなのか、感覚として身につけることができていました。論理的な文章を(英語で)書く、というのはとても難しいゴールなので、まだまだ道半ばではありますが、英語小論文の特訓は、「基本的な英語ができることは当然で、その先の世界にはこんなものがある」と、視野が広がったある意味感動的な出来事でした。ライティングは大変な難関でしたが、その勉強を乗り越えたことで、むしろ4技能の中で自分の一番得意な分野になりました。英語を嫌いにはならなかったので、大学入学後も英語の授業を自主的に履修したり、留学生と喋ってみたりしていました。かねてからの目標だった長期留学のためにTOEFLのスコアが必要になったため、2・3年生の頃はTOEFL対策を自主的にしていました。単語帳で暗記して、問題集をひたすら解く、という基本的には英検対策と変わらないことを可能な限り地道にやっていました。
 TOEFL目標スコアを取得でき、コロナ全盛期を乗り越え、3年生の時に1年間タイに留学に行きました。現地の人はタイ語を話しますが、大学で受けていた授業は全て英語で、友達とも英語でコミュニケーションを取っていました。英語ネイティブの国ではないにも関わらず、その大学のタイ人学生は英語を流暢に喋る人が多く、授業のレベルも日本とは比べものにならないくらい高くて、最初は授業や会話についていくのに必死でした。日本にいると英語を話す機会も英語で友達とチャットすることも無かったので、留学という実践の場で英語力は総合的に鍛えられました。実は、留学先で英語ネイティブの先生の話を聞き取れず、リスニング力を鍛えるために、YouTubeで英語ネイティブのVlog動画を見ていました。これは日本でもできることなので、準備しておけば良かったなあとも思いましたが、この段階ではひたすら量をこなして知らない単語に自分から出会うこと、スピードや多様な内容に慣れることが英語学習の目標になっていました。毎週20ページほどある英語論文を読んで、テスト期間には2000~3000語のレポートを書く課題を課され、リーディングとライティングは必然的に伸びました。夏休みの期間には2ヶ月ほど現地の企業でインターンシップを行い、英語で働くという経験をして、大学卒業後英語を使って働くというキャリアを本格的に考えるようになりました。
 時々、英語が好きで得意ならなぜ英文学科に進まなかったの?と聞かれることがありますが、その答えは私は英語を使うことが好きなだけで、英語そのものや言語学に興味が無かったからです。近年よく「英語はツール」と叫ばれますが、英語小論文対策を始めた頃からその意識はかなり強くなりました。英語ができても、言いたいことや考えがなければそもそも英語小論文は書けませんし、スピーキングも意味を成しません。このことから、私は本当に興味がある内容を勉強し、それを英語を使って活かせるようになろうと考えるようになりました。

 以上が、私の英語学習の経験です。最後に、もし英語学習中でもっと頑張りたいと思っている中学生や高校生がいれば、私から言えることは「できないのは当たり前」ということです。英語が第一言語でない以上、習得に時間がかかることも、恥ずかしいような間違いをすることも当然です。やはり、一朝一夕で話せるようになるわけではないので、英語を習得した人は必ずびっくりするほど全然できない…という経験をしています。(勿論、私も何度も経験していますし、今でも感じます。)そこで英語学習を辞めてしまうか、むしろそのプロセスを自分なりに楽しめるかで、その後のレベルが変わると思います。今のレベルや自分のポテンシャルに関係無く、恥をかくことを恐れずに継続できた人だけが、英語の楽しさを享受できるのだと思います。実際、ボロボロの英語を話しているのに、ネイティブと楽しく会話し、仲良くなる人は沢山います。自分は英語ができないから…と引け目を感じて自分で限界を作ることが一番勿体ないので、英語を頑張りたいと思っている人には是非勇気を出して挑戦してほしいと思います。あくまで個人の経験に過ぎませんが、どなたかの参考になれば幸いです。

執筆者:深沼瑞会
上部へスクロール